入社式、おめでとう!

今年も新社会人達がめでたく入社式を迎えました。
希望を胸にしている事でしょう。
その入社式ですが、サプライズとして著名人が祝福の言葉を述べたりパフォーマンスをする事もありますね。
今年もいくつかの大手企業では有名人が登場して場を驚かせました。
日本テレビでは人気絶頂のアイドルグループ嵐の二宮和也さんが登場。
あるファッションブランドではE-girls。
これらにはネットでも羨ましいとの声があがっています。
変わった入社式では大きな水槽の中で辞令を受け取る事などもありました。
最近はいろいろとあるのだなと感心しますね。
入社式が無事に終わるとは翌日からは厳しい研修が始まります。
それが終わると晴れて配属されるのです。
お客様気分?でいられるのもわずか一日だけですね。
人生において一般的に入社式は一度限りの事ですので大切な思い出として刻んでもらいたいです。
年齢的に新社会人の皆さんよりも上の私から声をかけるとしたら、「君達はまだ若い、だから可能な範囲でどんどんチャレンジしてほしい、失敗を恐れずに果敢に挑んでほしい」
「これから出会う人間関係を大切にしていってほしい、社会に出てから友達を作るのは仕事と同様大変な事だ」
「人生は積み重ねだ、初めは低くてぱっとしないが長く続ければいずれ立派になってくる、それまでは辛抱してほしい」などなどですね、ちなみに私の失敗から学んだ言葉です。

二つ目のコミュニティ

新しいファームに到着した。
前のコミュニティが巨大な自然の中にあったため、ここはとっても小さく感じる。
キャラバンで寝泊まりして、共有スペースがあって、そこでみんなとお話したりとか共有ごとをしたりとかは同じだけれど、まず前のところと比較して思うのは、前のコミュニティが清潔という点にとても重きをおいていたということだ。
ここも決して汚いというわけではないけれど、建物が古いのと、それが適切に手入れされている感じではないのと、そう思うと、前のところはなんてこまめに手入れされていたのだろうと、色々なところをみるというのは視野が広がる。
そして驚いたのは、メンバーがほぼ外国からの移民だということ。
早くから永住ビザ取得に動き出した人が多いようで、イスラエル人、スペイン人、イタリア人、でもみんな私より若いと思う。
早速永住権の取得の話をしてみたけれど、自分の知ってること以上の情報はなく、結局そんなに簡単ではないということ。
でも、不可能ではないということ。
早速ヴィーガンについての反対意見も聞こえてきた。
どれでもいいと思う。
自分が信念を持って選んでいれば。
私だって、知らなければこの話をすることはできなかったわけで、だから意見の交換は賛否両論であろうと素敵だと思う。

二つの平等

資本主義社会の日本ですが、平等を好む方もいます、私も同じ対価を得られるなら与える労働力は平等であって欲しい物ですが、その平等とはどんな物なのでしょうか。
分かり易い例が税金です。
まず平等の税金で思いつくのが消費税ですよね。
消費に関わる全商品(土地や家賃や通院は消費しないので消費税は掛からないのです)を購入した際に全員同じ税率(4/1からは8%)が掛かります、まさにどの商品、誰にでも、の観点で平等ですね。
それともう一つの平等の考えを元に行っている税率があります。
所得税です、これは累進課税制度といわれて収入が多ければ所得税の税率も高くなっていきます。
考えの基準は割合ですね、多く給料を貰っていれば多く払える、少なければ少ない金額しか支払えないという割合的な平等です。
話は戻って労働力の話ですが、アルバイトやパートですと賃金は同じケースの場合が多いです、中には「あの人よりも多く働いているのに給料が同じ」とぼやく人もいますが、そんな時は割合の平等を考えて下さい。
身体能力や知力、行動力など人それぞれの能力は同じではありません、人よりも優れた能力を持った者は人より多く能力を行使して平等なのです。
それを納得して働くしかないですね。
理不尽な事ではなく社会で働くにはこの考えも必要です。

読書あれこれ

そろそろと本を読んでいる。
「魔法科高校の劣等生」
飛ばしていた分、読んでみた。
アニメ化で、兄が中村悠一、妹が早見沙織と言うことで脳内でしゃべらせてみたら普通に出来るな。
このスキル、持ってたら結構駄目だな。
内容は途中で読むの辞めていたような気がしていたが、要は印象の残っていなかっただけらしいことが判明。
PHP文庫の「毛利元就」
何か奇矯な考えに取り憑かれた人の本。
あとこだわりを持った人。
それは良いんだけど、最低限、人に伝えようとして書いて欲しい。
当時は、尾張守とか修理大夫とか官職で人を呼ぶことが一般的だったのだろうと思うし、そこにこだわりを持つのもいいんだけど、この表記揺れが酷くて、同じ人なのにページの内部でもうわけがわからなくなる。
こういう手法田中芳樹もするんだけど、それでも状況的に人数を絞った状態でやるから、
「こじゃれた真似を」
という感じになるんですが、この人は軍評定の最中にこれをやるから、
「誰だった?」
ということになる。
しかも登場人物の台詞ではなく地の文でこれである。
文体が古いのはおもしろいんだけどなぁ。
今は、
「赤ちゃんは殺されたのか」
という、ノンフィクション小説。
なんか海外物外れ引き続けていたので、怖かったけどこれは良さそう。

当事者と第三者の物の見方

昨夜テレビで詐欺の実例そして実際に詐欺に遭ってる方を加害者との間で解決する番組だったですが、私も以前詐欺師に騙され長い暗いトンネルを前も見えない状態で人生を歩んだ経験があります。
結局総額で1億円近い連帯保証人状態で家族も失いそれまで築き上げた信用も失い親兄弟からも見放され状態から13年長く暗く孤独なトンネルを歩きましたが、今は冷静にテレビも見る事の状態に成りましたけど。
思う事は当事者と第三者では視点が違い冷静さが違うのです。
テレビの中のコメンテーターが何故そこで気付かないの?
とか色んなシチュエーションで何故?何故?何故?を連発されてましたが。
当事者になると普段考えられる事が考えられなくなるんですね。
選択肢が本当に無くなり、視野までも狭くなるんです。
昨夜もテレビ観ながら被害者の間違った選択に妙にうなずいたり、自分が騙されてる様で悲しんだり憤りを覚えたりして見てました。
私は辛い経験したから、もう2度と同じ目には遭わないと言われる方が多く居られますが、そんな方でも同じ目には遭わないけど同じような目には遭う危険性がもの凄く高い比率で遭うんです。
私もあれだけの事に遭いながら2度との100パーセントの自信は無いのです。
当事者に成って冷静さを失う怖さは遭った者で無いと分からないのです。

大国ではなく、小国同士が争うこと。些細なこと、つまらぬことに拘(こだわ)って争うこと。