「日記」カテゴリーアーカイブ

日本人が英語を話せないという悲しい現実!

最近東急ハンズに行った時に外国の人がすごくたくさん買い物に来てることにびっくりしました。
そしてその外国の人に英語で商品の案内を案内してる人がいて、やっぱり英語が話せるのはかっこいいなと思いました。

しかしよく見てみたら、その方のネームプレートには中国の方のお名前が書いてありました。
そしてその横にいた日本人の店員さんは ipad で商品の情報を調べて中国の方に画面を見せているだけでした。

なんだかちょっと切なくなってしまいました。
日本人がもっと英語を頑張らなきゃダメだと心底思いました。

先日もテレビで2020年のオリンピックに向けてiPhoneの自動翻訳の機能の性能をアップさせているというニュースがありましたが、「そこじゃないでしょ!」と突っ込みたくなりました。
確かに最近のグーグルの自動翻訳も性能が大きくアップしていると思います。
前はびっくりするような英文の翻訳を返してましたからね。

でも英会話は直接話して、会話してなんぼだと思うのです。
上手く話せなくても何とか伝えようと努力する姿勢が大切なのではないでしょうか?

その東急ハンズにいた、商品の説明を受けていた外国の方は中国の方に「本当にありがとう!詳しく説明してくれて本当に助かりました。店員さんが英語が分からい人が多くてびっくりしたよ。」というようなお礼を言ってその場を去っていきました。

今年一年きっといい年になるさ

年も無事に越せて、新年なので初詣に近所の神社に行ってきました。
今年は天気に恵まれて、ものすごく晴れた上に気温が高めだったので初詣に来ている人もいつもより多かったです。
そして、去年一年を無事に過ごせた感謝と今年の抱負とあいさつを手を合わせるととても気持ちがすがすがしかったです。
なんだか今年も一年楽しく過ごせそうな気持になりました。
そして、お守りをいただいた後は毎年恒例のおみくじを引きました。
結果は末吉となんだかパッとしないような気もしますが、書いている内容はどんどん運がよくなるよというようなことが書かれてあったのでよかったです。
もともと神社が好きなので、日頃から近場の神社にはに足を運んでいて好きな神社がいくつかあるので三が日の間に4つの神社に行くことができました。
話はちょっと変わりますが、私は自分自身の1年のテーマとサブタイトルをつけるのですが、まぁそれは公に発表はしませんが元旦の日に決めます。
やっぱり、一年の計は元旦にありというので元旦の朝に心を静めて集中して決めます。
私は忘れっぽいので、今年のテーマとかやりたいこととかを毎日みる手帳に書きこむことによってより目標がかないやすかったりするような気がします。
手書きで手帳に楽しい夢や目標を書きためるのはものすごくお勧めです。

突然の大雨に注意

これから夏の時期になると、注意しなければならないのは大雨です。
ゲリラ豪雨とも呼ばれる夏の大雨は、ゲリラの名の通り、いつ降るか分かりにくい豪雨のため、普通に天気予報を見ているだけでは対策は難しいのです。
最近では、突然の大雨を出来る限り予測する「降水ナウキャスト」と呼ばれる機能が気象庁から提供されており、パソコンやスマートフォンで最新の雨雲の動きなどが調べられるそうです。
しかし、そのナウキャストでも把握できない大雨が降ることも珍しくありません。
真夏の時期は大気の状態が不安定な日も多く、例え快晴であっても、地上と上空の温度差が開きやすく、雨雲が湧くのに適した環境ともなっています。
晴れていても突然激しい雨に見舞われることも日常茶飯事で、いつどこでも雨が降っていいように対策をしなければなりません。
夏になったら常日頃、折り畳み傘や合羽を常備し、いつどこで大雨に見舞われても、即座に雨具を出して濡れないよう注意することが大雨の夏を乗り切る方法だと思います。
そして、大雨の際には交通機関の動きにも注意すべきです。
特に鉄道は大雨の際に運転を見合わせる線区が全国で多くあり、目的地までに向かう途中の駅で運転が打ち切られることも考えられます。
突然の大雨はいつ降るか分からないので、今一度心構えをして、本格的な大雨シーズンに備えたいと思います。

思惑渦巻く言葉

「◯◯と言えば嘘になる」という言い回しがある。
あれを聞くと、私はなんとも言えないもやっとした気持ちになる。
あまりにも歯切れの悪い言葉だからだ。
どうしてあんな言い方をするんだろうか。
まあそうそう実生活で聞くことはなく、ドラマだったり芸能人のインタビューや記者会見だったりといった、テレビの中から聞こえてくることの多い言葉ではある。
ところが、最近直接耳にすることがあった。
会社の催し事のスピーチでのことだ。
お偉いさんが何人か挨拶程度にコメントを言ってマイクを回している中、一人結構長く喋っている人がいた。
その人が、最近上手くいかなかった事業を一部畳むことについて言及していた際、「畳みたくないと言えば嘘になりますが…」という言い方をしていた。
あ、これって普通に使う人いるんだ、と少々驚いた。
それと同時に、なんとなく使いたがる人の心理も見えてきた。
それは「苦渋の選択をしましたアピール」、もしくは「自分の意志に反して正しく決断しましたアピール」だったりするように感じられた。
なんとなく持って回った言い回しをすることによるカッコつけだけかと思っていたけど、それ以外にも思惑が盛り込まれているようだ。
やっぱり私はこの言い方はしたくないなと改めて思った。

読書あれこれ

そろそろと本を読んでいる。
「魔法科高校の劣等生」
飛ばしていた分、読んでみた。
アニメ化で、兄が中村悠一、妹が早見沙織と言うことで脳内でしゃべらせてみたら普通に出来るな。
このスキル、持ってたら結構駄目だな。
内容は途中で読むの辞めていたような気がしていたが、要は印象の残っていなかっただけらしいことが判明。
PHP文庫の「毛利元就」
何か奇矯な考えに取り憑かれた人の本。
あとこだわりを持った人。
それは良いんだけど、最低限、人に伝えようとして書いて欲しい。
当時は、尾張守とか修理大夫とか官職で人を呼ぶことが一般的だったのだろうと思うし、そこにこだわりを持つのもいいんだけど、この表記揺れが酷くて、同じ人なのにページの内部でもうわけがわからなくなる。
こういう手法田中芳樹もするんだけど、それでも状況的に人数を絞った状態でやるから、
「こじゃれた真似を」
という感じになるんですが、この人は軍評定の最中にこれをやるから、
「誰だった?」
ということになる。
しかも登場人物の台詞ではなく地の文でこれである。
文体が古いのはおもしろいんだけどなぁ。
今は、
「赤ちゃんは殺されたのか」
という、ノンフィクション小説。
なんか海外物外れ引き続けていたので、怖かったけどこれは良さそう。

当事者と第三者の物の見方

昨夜テレビで詐欺の実例そして実際に詐欺に遭ってる方を加害者との間で解決する番組だったですが、私も以前詐欺師に騙され長い暗いトンネルを前も見えない状態で人生を歩んだ経験があります。
結局総額で1億円近い連帯保証人状態で家族も失いそれまで築き上げた信用も失い親兄弟からも見放され状態から13年長く暗く孤独なトンネルを歩きましたが、今は冷静にテレビも見る事の状態に成りましたけど。
思う事は当事者と第三者では視点が違い冷静さが違うのです。
テレビの中のコメンテーターが何故そこで気付かないの?
とか色んなシチュエーションで何故?何故?何故?を連発されてましたが。
当事者になると普段考えられる事が考えられなくなるんですね。
選択肢が本当に無くなり、視野までも狭くなるんです。
昨夜もテレビ観ながら被害者の間違った選択に妙にうなずいたり、自分が騙されてる様で悲しんだり憤りを覚えたりして見てました。
私は辛い経験したから、もう2度と同じ目には遭わないと言われる方が多く居られますが、そんな方でも同じ目には遭わないけど同じような目には遭う危険性がもの凄く高い比率で遭うんです。
私もあれだけの事に遭いながら2度との100パーセントの自信は無いのです。
当事者に成って冷静さを失う怖さは遭った者で無いと分からないのです。